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駆け抜けた青い時、セピア色の日記と記憶
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Original Sin

os原罪…



ある本を読み返していて、印象に残った一節がありました。

(抜粋開始)

原罪の教義を信じない人は、何があろうとやっぱり人間は善なんだと心の奥底で感じていて、 だからこの世全体はだいたいにおいてどんどんいい方向に向かっていると思っています。

これは人間が自分たちもっているゆるぎない信念であり、それを見るのは、いじらしくもあり、また勇気づけられることでもあります。

しかしながら、その最大の弱点は、この考え方がたとえ人類の未来に大きな夢や希望を抱かせてくれるとしても、 「現在」の実状を見ればまったく意味をなさないことです。 そして、現実にもとづかず、夢にもとづいた夢は、現在にとって納得のいかないものであるばかりか、 未来にとってもわざわいのもとになるはずです。

(抜粋終了)

これに対する私の解釈と似た考えが、びっくり原罪論の中にありました。

(抜粋開始)

原罪の教義とは、人間が、人間自身について感じる違和感の解釈なのだ。 自然界は調和しているのに、なぜ人間社会は調和していないのだろう?  動物は苦しむけれど悩まない。しかし、人間だけは、なぜ悩むのだろう? 動物は死に直面したら恐れる。しかし動物は死を予期して悩むことはない。 なぜ人間は、健康な時でさえ、死を予期して不安になるのか?  動物は、現実原則によってだけ行動する。 なぜ人間は、プライドを守るために現実を無視してバカな行動に走るのだろう? 動物には発情期がある。なぜ人間には発情期がないどころか、いつもスケベなのだろう? 動物は捕食のために殺すが、なぜ人間は快楽のために殺すのか? なぜ動物はああなのに、人間はこうなのだろう?  なぜ人間は、自然界の異邦人なのだろう? この違和感の意識こそ、キリスト教が原罪という象徴で伝えたかった本来の意味なのだ。 動物は、罪の意識を持たない。人間だけが、罪の意識を持つ。 人間だけが、今ある自分の状態に違和感を感じるのだ。 この違和感こそ、世界中の神話や思想が、説明しようとした疑問であり、人間本来の謎なのである。 人間は、自分自身に違和感を感じる。

A氏曰く、「人間だけが、理想を持つからだ」。 では、なぜ人間は理想を持つのか? B氏曰く、「人間だけが、本能ではなく文化的ルールに従って行動するからだ」。 では、なぜ人間だけが、本能から解離しているのか?  創世記三章の楽園追放の神話が答えようとした謎は、まさにこの謎なのである。 そして、原罪の教義とは、これらの謎に答える教義であるべきなのだ(本来は・・)。

そう考えるならば、原罪の教義の課題がいかに大きいものかをご理解いただけると思う。 原罪の教義とは、人間の謎に対する答えなのだ(本来は・・)。 科学技術が進歩すれば、いつか人類は自分自身に違和感を感じなくなるだろうか? 教育が進歩すれば、いつか人類は自分自身に違和感を感じなくなるだろうか? 「ハイ」と信じるバカは、現代にはいない(・・ハズだ)。

(抜粋終了)

なお、原罪の教義を考える時、性善説と性悪説の意味を正しく理解することをお勧めします。

【性善説】
人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており、 悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるとする説。正統的儒学の人間観。孟子の首唱。
簡単に表現すると…人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ

【性悪説】
人間の本性を利己的欲望とみて、善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。孟子の性善説に対立して荀子が首唱。
簡単に表現すると…人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶ

enkyoは、「人間は他の動植物が持たない能力を持っているものの、それは我々人間が自負しているよりもたいしたものではないぁ」と思っていますよ。
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