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駆け抜けた青い時、セピア色の日記と記憶
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1985.10.27-30 2/2

スタジャン

やっとスタジャンを着ることができた。やっぱ自分の手で企画したもんがうまくいくっていうのは、うれしいもんだ。
この頃はテニスに限らず、サークルにはおそろいのスタジャンはマストアイテムだったようです。しかし、どうしてこの時期に作る必要があったのかというと、いわゆる学園祭である「青山祭」の開催が近づいていたからでしょう。

「青山祭」では、様々なサークルがおでんや焼きそば、クレープなどの屋台を出して、来場者に販売したのでした。そして、その収益は打ち上げコンパの費用に化けるというのが一般的だったように思います。

では、なぜスタジアムジャンパーが必要であったのか?たぶん、以前からそういう慣習があったということで納得していたのだと推察しますが、実は 仲間意識を確認するためだったのではないかと思うのです。既にサークルに入って6ヶ月以上が経過した頃ですから、

 1. 「6ヶ月経ったんだから、もう辞めないよな!」
 2. 「おそろいのスタジャンは費用がかかるけど覚悟はできてるよね!」
 3. 「みんなでスタジャン着て、クレープを売ろうね!」

もしかすると、「今後もサークルのメンバーといして在籍する」という意思を再確認する踏み絵みたいなものだったのかもしれませんね。

人間には帰省本能があり、組織や集団というくくりの中では帰属意識が生じやすいといわれています。大学の講義はクラスという意識が希薄になりがちなスタイルですから、学生ははっきりと目に見える組織や集団に属することで、キャンパスの中での自分という存在を明確にしたかったのではないかと思うのです。そのため、例えば「中田くん」のことを「経済学部の中田くん」ではなく、「アリス中田くん」と呼んでいましたし、そういわれないと誰のことなのか釈然としなかったと思うのです。

しかし、このスタジャンの製作にあたった私にはそういう意識は全くありませんでした。なぜなら、青山祭の時にこのスタジャンに合わせて買ったジーンズをはき、学園祭のドサクサに紛れて、あの「ヨウコさん」をコンサートに誘おうと密かに計画してしていたのですから…ときめき

なんて能天気だったんでしょうね、自分のことながら笑えます。
青い時(1985年/青山学院大学1年生の頃) | permalink | comments(3) | trackbacks(0)

この記事に対するコメント

へぇ…中田君ってアリスだったんだ。1代上
の広松サンはカッコよかった。

Any way…この前TVで“多くの男性は昔の彼女は今でもまだ自分に少なからず好意を抱いていると思っている”といっていた!!

男性ってロマンチストなのね。女は超現実主義者。『男は過去を懐かしみ、女は過去を忘れさって生きていこうとする。』男性はピュアだよね。女性はズルイ生き物です。

ごめん少々尖がったコメントでした。
kao | 2006/02/03 9:50 AM
ある人から「男は40歳を過ぎるともう一度恋をする」と聞いたことがあります。

これが世に言う不倫なのかもしれませんが、その時はとても純粋な精神状態なんだそうです。

私にはそういう兆しはありませんけど…。
enkyo | 2006/02/03 10:51 AM
>これが世に言う不倫なのかもしれませんが、その時はとても純粋な精神状態なんだそうです。

私もそういう気持ちになる傾向がありません。純粋である意味正常な精神状態ではないってことかな??
コボちゃん | 2006/02/04 8:01 AM
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