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駆け抜けた青い時、セピア色の日記と記憶
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Miss Lamennais

mpだれかしら、今あるごとくに置いた人、発明した人があったのである
… 坂口安吾『ラムネ氏のこと』





1990年頃作った「Miss Lamennais(ミス ラムネーズ)」というタイトルのカセットテープを今でも持っています。当時既にCDはあったものの、車の中で聴くために複数のCDをダビングしてよくお気に入りのミュージックテープを作ったものでした。
この「Miss Lamennais」は当時お付き合いしていた年上の女性の車の中で聴くために作ったものです。

彼女との待ち合わせ場所はいつも自由が丘駅前のロータリーでした。白いソアラのサンルーフを全開にし長い髪をなびかせて、大きめのサングラスで女性とは思えないシャープなハンドルさばきで車を目立つ場所に止めます。

そして、彼女は荒っぽくドアを開け、タイトなミニスカートであることに気をつけながら、細い足をそろえてハイヒールで立ち上がり、「Yuちゃん、おはよう」と手を振ってくれます。この時、駅前で待ち合わせをしている人達の視線は彼女のビヘイビアに注がれるのです。(たぶん多くの人は「誰を迎えに来たのだろうか?」と興味津々だったと思います)

彼女の元へ駆け寄って行く時の幸せな気持ちと優越感のようなものは今でも鮮明に覚えています。おそらく彼女もそういう状況を楽しんでいたのかもしれません。(他人の目にはツバメ君そのものと映ったことでしょうね。)

坂口安吾は『ラムネ氏のこと』の中で、「まったくもって、われわれの周囲にあるものは、たいがい、天然自然のままにあるものではないのだ。だれかしら、今あるごとくに置いた人、発明した人があったのである。」と書いています。
正常と異常、常識と非常識などは永久不変ではなく、それを新しく置いた人・置き換えた人の思考や行動力に価値があるというふうに私は読み砕いています。

彼女の車の中で聴くために作ったこのテープには年上の女性と関係のネガティブイメージを覆したいという意思があったのだと思います。そのためか、デートの時の費用は割り勘にしていましたし、奢ってもらった時には後日同じくらいの金額のプレゼントをしていました。

食事をしたり、旅行に行ったり、部屋でピザを取ってビデオを観たりととても楽しい日々でした。彼女はビールが苦手でお酒を飲む時にはシャンパンかティオペペと決まってました。ある日、私は彼女にビールを飲んで欲しいと思い、コロナにライムを添えたものを勧めました。私が「ボトルのままラッパ飲みするんだよ!」というと、彼女は眉間にシワを寄せて「な、なんか下品ねぇ」と。

私は今でもティオペペのボトルを見るたびにミシェル・ファイファー似の彼女の笑顔を想い出します。

彼女とお別れした時の手紙には…「休日の太陽の下で飲むコロナの美味しさは貴方に教えてもらったわ」と。

私はラムネ氏にはなれなかったかもしれませんが、彼女の価値観のほんの一部分に影響を与えることが出来たのかもしれません。
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