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駆け抜けた青い時、セピア色の日記と記憶
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余命いくばくと宣告され … 肝臓病

私の母はガンです。
それは5年程前のことでした…家族の中でとても快活で明るく、「健康」の代名詞のような私の母が、足のむくみと全身のだるさを訴えるようになりました。
その時、私と姉は疲れが出ただけだろうと高をくくっていました。なぜなら、母は食事も自然派志向で、お酒もたしなむ程度、もちろんタバコも吸わず、体重もずっと平均的数値でしたから、それまで全く病気とは縁のない人だったのです。
私は「もう60歳なんだから、少しは身体にガタがきてもおかしくないよ」などといって、原因は老化だなどと安易に受け止めていました。

しかし、しばらくしても一向に良くならないので大学病院に行って診察してもらうことになりました。そして診断結果は驚くほど早くでました…肝硬変と。 

私は愕然としました。全く信じられませんでした。肝硬変になる原因が思い当たらなかったからです。私の姉はさらに大きなショックを受けました。その前年に最愛の男性を肝臓癌で亡くしてたのです。壮絶な最期をむかえるまで彼女はひた看護に明け暮れました。その時の彼女の姿に深い愛情と強い精神力を見てとることができました。また、私には真似のできないことだと痛感しました。

母の肝硬変は半年もすると肝臓癌に進行しました。黄疸がでて腹水も溜まりはじめました。姉はかなり悪い状態であることを知っていましたし、私も覚悟を決めました。

数日後、主治医から母と姉と私の三人と面談をしたい旨連絡がありました。主治医は過去の事例や各種数値を詳しく説明した後、こういいました…「長くても数年でしょうな」と。
覚悟はできていたとはいえ、この言葉は私の脳に強烈なインパルスが伝わりました。とてもショックでした。そして、この病気を引き起こした原因が姉を出産した時の輸血にあったことを知ると、同時に強烈な怒りがこみあげてきました。

…そして、数年が経過しました。

私の母は今も生きています。姉に介護してもらっていますが、普通に生活しています。母にとっては、私が定期的に贈るフルーツがなによりの楽しみなのだそうです。

どうして母は肝臓癌に負けずに生きているのか?この答えはふたつあると考えています。

【良い医師と巡り合うこと】
私の母は帯津三敬塾クリニック鶴見クリニックの先生方のお陰で生きているといっても過言ではありません。心から感謝しています。

【肝臓病という病気を理解してくれる人と一緒に生活すること】
実は私は現在、妻の家族と同居をしています。その理由は妻の母が肝臓病なのためです。肝臓病に疲労は禁物なのですが、妻がサポートしてあげないと義母はすぐに無理をしようとするのです。近くに肝臓病を理解している人がいないと、この病気は悪い方向に向かいやすいというのが妻の自論です。

仮に皆さんの親族や愛する人が肝臓病だったとしても、決して希望を失わないでください。実母は今も電話で笑って話していますし、義母も妻と銀座で買い物を楽しんでいるのですから。
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