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駆け抜けた青い時、セピア色の日記と記憶
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恋愛は制度である/1986.2.6

genji日記にはこう書かれています…





「哲学の現在」という本の中に面白い一節を見つけた。恋愛はその時代の文化が生んだ制度である…時代とともにその形態を変えてきた…現代の自由主義の下での恋愛も、それが自然で恋愛のあるべき姿だから現在あるのではない…平安時代の恋愛の姿も現在のそれも文化の創った制度よって生まれた…恋愛のあるがままの姿とは本能だけが支配するものである。

私は学生の頃、よく本を読みました。特に哲学に興味がありました。哲学の本には「人間どうあるべきか」とか「自分が生きていることの意味は何か」という疑問に対する答えが書いてあると勝手に思い込んでいたのです。また、哲学の本が好きだというと女性から知性的な男と思われてモテるんじゃないかという妄想を抱いていたことも事実です。

さて、本の話ですが、「現代の自由主義の下での恋愛も、それが自然で恋愛のあるべき姿だから現在あるのではない」という一文はとても興味深いですね。

基本的人権という概念が、現代の恋愛を以前よりも自由なものにしたことは事実だと思います。江戸時代には身分の違いによって成就しない恋愛もあったようで、時代劇でそんなシーンをよく見かけます。一般に昔の恋愛には悲哀があり、現代の恋愛は自由でロマンチックなイメージがあるのではないかと思います。

でも、これは違いますね。現代にも悲しい恋愛はたくさんあります。不倫や同性愛、性同一性障害の人の恋愛などがそれにあたるのかもしれません。このことは、文化や制度の変遷の中でたんに陽のあたる場所と陰になる場所が変わっただけのように思えます。古代にはゲイはマイナーではなかったようですし、中世には一夫多妻の時代もあったと聞いたことがあります。

「恋愛のあるがままの姿とは本能だけが支配するものである」
これ、すごい表現だと思いませんか。(ドキっとするのは私だけでしょうか)

ともあれ、グローバル化する文化、現代という複雑な制度の中での本能的な恋愛とはどんな愛のカタチなのでしょうね。もちろん、私はそれを探求することはできませんけれど…。
青い時(1985年/青山学院大学1年生の頃) | permalink | comments(2) | trackbacks(0)

この記事に対するコメント

またお邪魔しております
そうですね、恋愛は本来お互いを欲し、無条件に与え合うモノだと思うのですが、
様々な制度やしがらみに則って生きて行く上で、私達は繕う恋愛を覚えてしまったのだと思います
そんな繕いの恋愛ばかりでは、身も心もだんだんとくすんで来てしまう様な気がしてなりませんねっ
やはり、『本能だけが支配する』そんな恋愛が人を美しく輝かせてくれる様な気がしますね♪
haru♪ | 2006/04/29 1:26 AM
haru♪様

貴方のような美しい方が『本能だけが支配する』などと表現なさると、私のようなオヤジとしてはとてもドキッとしますよ。貴方はこれ以上世の男性を虜にしてどうするおつもりですか(笑)

しかし、ふと考えたのですが、本能だけが支配する恋愛の相手はどんな人なんでしょうね。本能が支配するといっても誰でもいいわけじゃないし…。

私は、一切の打算がないこと、その人に「至上の美」を感じること、かつ自らを犠牲にしても守れるかどうかということかなと思います。
enkyo | 2006/04/29 8:54 AM
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