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駆け抜けた青い時、セピア色の日記と記憶
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天国にいる浅田英了さんへ

halhaf浅田さん、私はあなたのことは今も忘れてませんよ…




浅田英了さんというプロカメラマンがいました。

私が大学生の時にある人に紹介してもらったのをきっかけに、私をかわいがってくださいました。

浅田さんは、当時学生の私が物怖じするようなお洒落なレストランにジーンズ姿で、

(もう夜なのに)「おはよう!席ある?」と、とてもフランクな口調。

お店の方も彼を知っていたせいか、すぐに席をつくってくれました。

私にとって浅田さんは素敵な大人の男性でした。彼は背が高くて筋肉質だったので、女性にもとてもモテたと思います。

また、彼は私に哲学や美術の話をよくしてくれました。ソクラテスやプラトンの話、パルテノン宮殿システィーナ礼拝堂の美しさについてなどなど…。彼は職業柄、海外に行くことが多かったせいか、彼の話は非常にリアルでした。

「enkyo、俺がね、面白いと思うのはさぁ…」

こんな前置きのあと、彼の話は始まるのでした。

光や陰、色彩などを繊細に表現するのです…私は食事をするのも忘れるほど話に聞き入ることがありました。

今になって考えてみると、あの表現力は被写体をとらえる時のプロカメラマン独特の感覚がもたらしたものだったのではないかと思います。

とにかく、私にとって浅田さんは「憧れの大人の男性」だったのです。

その後、私が就職した後にもたまにお会いすることがありました。彼はプラッサオンゼというライブハウスのオーナーでもありましたので、私に元気がない時にお店に招いてくれたのでした。

このライブハウスで聴く、明るいサンバは私をハッピーな気持ちにさせてくれました。サンバは「生きている」ということを実感させてくれる音楽だと思いました。

…あれは1993年のことでした。

私のデスクの電話が鳴りました。

「enkyoさん、浅田さんからお電話です」と

私は、

『浅田さんだ!また酒飲もうって電話かな』

と嬉しい気持ちでいっぱいでした。

enkyo : 「もしもーし、enkyoでーす」

電話主 : 「あっ、もしもしenkyoさん?」

enkyo : 「はい、そうです。enkyoです」

電話主 : 「あの、私は浅田英了の兄でして…」

enkyo : 「えっ?」

電話主 : 「実は、弟が急遽亡くなりましたのでご連絡しました。ぜひ、お姉さまにもお伝えいただきたく…」

enkyo : 「えっ、浅田さんが亡くなったんですか?」

電話主 :「ええ、仕事で海外に行っておりまして、そのフライト中に亡くなりました」

enkyo : 「わかりました…姉に伝えます…」

…今でも覚えています…その後、私はデスクを立ち、トイレに行きました。そして、トイレのコンクリートの壁を何度も全力で叩き、ひたすら泣きました…声を出して泣きました。しばらくすると、こぶしが真っ赤に腫れて、頬が涙でひりひりと痛みました。

今でも、小野リサさんの「セリナータ・カリオカ」のジャケットを見ると、浅田さんを想い出します。

そして、最近知った事実なのですが、間接的かつ偶然かもしれませんが、姉を延命させたは「浅田英了さん」、あなたにほかならないのかもしれません。

あなたはお遊びの過ぎる方だったかもしれませんが、私の姉はあなたに命を守られた可能性が極めて高いようです。これもひとつの「愛のカタチ」なのかもしれませんね。

正直なところ、私はもう少しあなたから「男の美学」を学びたかったです。

天国でも、若い女の人を相手にブイブイいわせているのでしょうね。

そういう、あなたが目に浮かびます…。

私もあなたのようなチョイ悪オヤジをめざしてみようかな…。
青い時(番外編) | permalink | comments(6) | trackbacks(0)

この記事に対するコメント

管理者の承認待ちコメントです。
- | 2008/07/19 1:51 PM
プライア様

コメントありがとうございます。
彼が私に教えてくれたことを誰かに引き継ぐことによって、彼の魂は今後も生き続けるのではないかと信じています。
いつかお逢いできる日を楽しみにしております。
enkyo | 2008/07/19 3:12 PM
偶然、このページを開きました。自分が美大を卒業し仕事に就いたのが、四谷四丁目の角を千駄ヶ谷方向に行ったところに、ちょっと変わった造りの黒塗りの写真スタジオでした。そこに小さく間借していたのが「アブリュー」という小さなデザインスタジオがありました。そこが、浅田映了氏の城でした。青山ベルコモンズで毎夏開催された「ラスト・サマー・カーニバル」のお手伝いをしながら、自分も浅田映了氏に写真を教えていただきました。今は亡きデザイナーの奥田氏もアブリューからプラッサ・オンゼのシェフ?(笑)にデザイン変更しました。こよなくブラジルを愛し、サンバとピンガー(酒)離さなかった浅田氏のことが強烈に思いだし、心が篤くなりました。心よりご冥福を祈ります。
macoring | 2009/06/02 4:29 PM
macoring様
コメントありがとうございます。
また、ここでこうしてmacoringさんとお知り合いになれましたこと、嬉しく感じております。
enkyo | 2009/06/02 7:14 PM
ダメだ、想い出してまた涙が出てきた(号泣)
freudjobim | 2010/07/13 12:45 PM
管理者の承認待ちコメントです。
- | 2010/09/08 7:04 PM
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