enkyo

駆け抜けた青い時、セピア色の日記と記憶
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月曜サボリ常習の小学生

rt2rt1母は電話で気まずそうに「先生、熱っぽいんで休ませますので…」と言っていたに違いない。




以前、私が小学生の頃よく父と一緒にツーリングに行ったというお話をしました。

当時、父は毎週のように日曜日の早朝になると…(この頃の小学校は日曜日だけが丸一日のお休みでした)

「enkyo、いつまで寝てるんだ。さあ、出かけるぞ!」と私を起こしたものでした。

私は眠い目をこすりながらクシタニ製の皮ツナギを着て父のマシンのタンデムシートにまたがりました。

父のマシン歴はBWWR90/6にはじまりR100/7、そしてその後のR100RTはたいそう気に入っていたようで色違いを2台乗り継いでいました。

父は鈴木亜久里さんの父上に勧められBMWを愛するようになり、とりわけバイクにおいてはそのフラットツインという独特のエンジン魅了されていました。

たいてい父のツーリングに目的地はありませんでした。ただ漠然と「今日は北の方に行ってみる」などといっていました。そして、走っているうちに日が暮れてしまうのが常で…

「enkyo、あそこの旅館は泊めてくれるかもしれないから聞いてこい」と私に指示したものでした。

なぜ小学生の私にそういったのかといいますと、当時大型バイクに乗っている人間は非常にマイナーであったうえ、不良っぽいという印象すらあったのです。

そのため、いい年の父がブラックのライダーズジャケットなどで予約もなく宿泊のお願いしても到底いい返事が返ってこなかったのはいうまでもありません。そこで父は子供に行かせた方がすんなり泊まれる可能性が高いと考えたわけです。

そして、母は月曜日の朝になると帰ってこない父と私に憂慮しつつ、小学校に「先生、熱っぽいんで休ませますので…」と電話していたのでしょう。

父とのバイクでのツーリングは小学生だった私にはハードでした。よく私が疲れて走行中に父の背中にもたれて眠ってしまうと、父はすぐにバイクを停止させて、

「enkyo!車じゃないんだから緊張感を持て。落ちたら死ぬぞ!」と怒られましたっけ…。

しかし、このような旅をしていた同級生は一人もいなかったですし、当時は珍しかったBMWのバイクに乗っているだけで優越感がありました。

18年前、父は大動脈瘤という病気で他界しました。最後の手術は同じ部位かつ2度目だったので父もある程度の覚悟はしていたようでした。

父の最期となった手術の前にenkyoが父と交わした会話は

「オヤジ、このままにしておいても良くならないなら手術しようよ。そしたら、また一緒に酒も飲めるしタバコも吸えるかもしれないじゃん。」という今になって考えるとあまりにも軽い内容のものでした。

そして、父の死後ベッドの横のメモ書きにこうありました。

妻(母)は良い人だったと思う。
姉弟仲良くやれ。
enkyo、世の中の流れに逆らうな。流れに身を任せることも覚えろ。


enkyoの記憶にはタンデムシートでもたれかかって眠った父のたくましい背中と、ツーリングで目にした各地の美しい風景が残っています。
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