enkyo

駆け抜けた青い時、セピア色の日記と記憶
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教 会

ycenkyoは20年振りに教会に行ってみました…





私は複数の神を受け入れることのできる人間です。先祖代々のお墓は仏教ですが、初詣で神社にも行きますし、キリスト教にも好意的です。

日本では神仏習合があったせいか、複数の神様の存在を受け入れられる素地があるのでしょう。

先日、家の近所に清潔でこぢんまりとしたアットホームな雰囲気の教会があったので、日曜日の礼拝に参加してみました。

教会の礼拝堂に入ると、緊張感と同時に何ともいえない安堵感を覚えました。これは寺院や神社に入った時も同様で、なぜか背筋が伸びると共に「何かに包まれている」ような感じがします。

enkyoは神の存在について深く考えることはしませんし、そういう類の議論もしません。なぜなら、私の生活の中で必要とされる思考は経済的合理性によるところが多いからだと思います。

しかし、この世の中には科学や理論では説明のつかない事象が数多くあることも事実です。

そして、その出来事が不幸なことだったり、一般的にマイナスイメージのことだった時に、おしなべて人々は「運が悪い」や「ツイてない」という言葉と表現しているように思えます。

興味深いことにこれらの言葉は、「人の世を司るもの」の存在を肯定しているように思えるのです。(運とはめぐりあわせを意味しますし、ツキというのもそのめぐりあわせの状態のひとつを指すそうです。)

久しぶりに教会の礼拝堂で心が洗われたような気分になったenkyoの頭に浮かんだキーワードは…

私の過去は事実であり、今となっては誰もそれを変えることができない。
他人が私の心(気持ちや意志)を変えることは難しい。
しかし、私の心のあり方は自らの意志で変えることができ、
私の未来は自分で創造していくことできる。


enkyoにはパラダイム変換の時期が迫っているのかも…いや、それが必要なのかもしれないと受け止めています。
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