enkyo

駆け抜けた青い時、セピア色の日記と記憶
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書の力

mu「文字そのもの」からこれほどのパワーを感じたことはいまだかつてありませんでした…



enkyoはかつて日記をつけていたことからも察していただけると思いますが、学生の頃から自分の感覚や考えを文章にすることが好きでした。文章とは文字の集合体ですが、歴史的な背景から日本における文語は、漢字・平仮名・カタカナなど多様な文字を用いた独特な形態であるということができましょう。

しかし、私は文字を利用して表現することに関心があっただけの人間です。文字そのものの持つ意味を「書」というアクションには無関心で、幼い頃には書道教室を1日でやめてしまったという恥ずかしい経験もあるほどです。

enkyoが学生だった1980年代にはワープロなるものが登場しました。もとより字が下手だった私にとってワープロは重宝な利器となり、私が自書で文字を書く機会は徐々に減っていきました。

そして、1990年代にはパソコンが普及し、文字を書くことはさらに減少していきました。自書で文字を書くことは、仕事で重要な署名をする時ぐらいになってしまったと思います。

昨今この傾向はさらに顕著になり、会社では「パソコンばかり使っているから、最近漢字が書けないんだよなぁ。そのうち自分の名前も書けなくなってしまうかも…」などと冗談めいた話すら耳にするほどです。

ご多分に漏れず、enkyoも文字を書くことは稀といっていいくらいになってしまいました。文字を書くのは備忘録のメモかクレジットカード利用時の署名ぐらいになってしまっているのが現状です。

また、自分の名前を書くたびに痛感することは、明らかに以前によりまして字が下手になっているということです。楷書で書こうとしてもままならないためか、年々字が崩れていっていることを実感しています。

先日、enkyoは近所の教会のイースター礼拝に参加しました。キリスト教においてイースターはクリスマス同様に特別な意味を持つもので、礼拝後に簡易なビュッフェ形式のパーティーも催されました。

私がパーティーの準備をお手伝いをしている時に、ある女性が私に声をかけてくれました。(あとになってわかったのですが、その女性は金澤翔子さんという書道家でした)

翔子さん:「enkyoさん、これ見てください、私が書いたの」

enkyo:「うわっ、この字すごいですね。ものすごいパワーを感じますよ」

翔子さん:「ありがとう、私が書いたのよ」

enkyo:「とても存在感のある書ですね、こんな文字は見たことがありませんよ、すごいなぁ!」

どうやら翔子さんはダウン症という病を背負ってこの世に生を受けたようです。

ある著名な書道家の方の彼女へのコメントにこうありました…「『この子(と言っては失礼だが…)になんでこんな力があるのか…』見ている者を惹きつけるエネルギーが凄い。(中略)人間の持っている全知全能が集約されている。そこには障害者も健常者も隔たりがない。」

数ある彼女の作品の中で、私の心に最も響いたものは「無」という文字(書)でした。この書にはなんともいえない存在感があると思うのです。無というのは物質が存在しない状態を指しますが、不思議なことに、この書は「存在」というエネルギーを放っていると思うのです。

残念ながら、enkyoには翔子さんのように書によって人々にメッセージを送る能力はありません。

しかし、私は心の機微や拙い経験やらを自分の言葉で表現することはできそうです。そのため、このブログに書き綴ったことが皆さんのお心にとまり、微力ながらそれが何かのお役に立てたなら私は幸せです。
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