enkyo

駆け抜けた青い時、セピア色の日記と記憶
<< July 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 正解のない答え | main | 古い手紙 >>

背中越しの未来

boat目前には過去ばかり…



よく結婚式の祝辞などで人生を航海にたとえて話す人がいます。その内容は、航海における天候を推測することの難しさや船体の不安定さを人間の生き様にあてはめていることが多いように感じます。

さて、皆さんがこのたとえ話からイメージする船や航海とはどんなものでしょうか。

enkyoの頭に浮かぶ船のイメージは、タイタニック号のような大型船です。そして、航海については、船長さながら船首に立ち前方の様子を双眼鏡で確認しつつ、様々な判断のもとひた海路を進むといったところでしょうかね。

先日、ある方がこんな話をしておられました。

「人生、目に見えるものは過去ばかり…あたかもボートを漕いでいるかのように過ぎ去った風景やさざ波が目前に広がっている。」

enkyoはこの話を聞き、この方は人間の生き様を消極的に捉えているのではなく、ある真理を説いているのだと感じました。

現代では科学技術の発達によって、以前にはまさに「未来」であった天候が予想できるようになりました。また、基本的人権が確立された国家では法令を遵守した上で個々人の自由意思のもとに生きることができます。

しかし、「明日の事を言えば鬼が笑う」とか「一寸先は闇」といった諺があるように、人間は意思に関わらず不幸なことが降りかかってくることがあります。健康だった方が不慮の事故や病気で急死してしまった話に我々は驚かされつつもその事実を受け止めて納得してしまうものです。

我々は確かに意思を持って生きているものの、それぞれが何らかの存在意義(使命)を背負って「生かされている」のかもしれませんね。

1987年10月12日(月)に書いた私の日記にこんな一節がありました…

久しぶりに酒を飲んだ。土曜日の夜から(大学のサークルの)合宿に参加したんだ。ずいぶんと迷っていた…行こうか行くまいかと。楽しいひと時だった。みんなあたたかく迎えてくれて嬉しかった。

そして、その後の行にこんな詩が書きつけられていました。

青春の余韻を胸に感じていると
夜の静けさが破られ、外がにわかに活気づく
無情にも翌日という日がやってくる


ボートは自ら漕がなくても漂います。しかし、ただ流れのままに漂うものならば、手にあるオールを動かすのが意志を持った人間の自然な姿といえるではないでしょうか。

はてさて、ひとりぼっちのボートenkyo号の船首はこの先どこに向かっているのでしょうね…。
life | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

この記事に対するコメント

コメントする


※任意




この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。
この記事に対するトラックバック