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駆け抜けた青い時、セピア色の日記と記憶
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1985.10.13 1/2

当時のダイアリーはカミュの文章を引用し、こう書きだしている。




男の顔にはその男がなにをすることができるかが読みとれる。けれども、それは女の顔のあの素晴らしい無効性と並べたらまったくなんでもないものなのだ。

これはカミュの「異邦人」の中にある一説を当時気に入ってダイアリーの表紙の部分に書きつけたのだと思う。
現在は40歳になる私がこの表現を目の当たりにして「ドキッ」とした。なぜなら…今でも地下鉄のホームで電車を待っている時、無意識(?)のうちに後姿が美しい女性が並んでいる列に近づいてしまう。それは彼女の「美しいであろうと推察される顔」を期待しての事前の行動なのである。私の経験では、後ろ45度から見て「察知」できればほぼ間違いなく美人である(ことが多い)のだ。
そして、乗車後に期待した「美しさ」を再確認し、彼女が本皮のブックカバーをかけた文庫本などを読みだすと、その「美」は期待どおりに最高潮に達し、彼女を見ているだけで幸せな気分になるのである。
青い時(1985年/青山学院大学1年生の頃) | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

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